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日本史上のイギリス

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留学のススメ



鎖国政策をとっていた江戸時代では、海外渡航は国禁であり、もし行えば大罪であった。

しかし、現代とは異なり通信手段が未発達な当時においてこそ、留学という手段で海外からの情報を学び得ることは、今日以上に大きな意味があった。

江戸幕末、長州藩は密かに藩士をイギリスに留学させることを計画していた。

無論、幕法では厳禁とされており、これより数年前にアメリカに密航しようとして果たせなかった同藩の吉田松陰は、時期的な不幸もあり、安政の大獄にて死罪となっていた。

松陰の渡航計画は彼個人のものであったが、今回は藩としての計画であった。

留学生は井上聞多、遠藤謹助、山尾傭三、伊藤俊輔、野村弥吉の5名で、上海を経由し、ロンドンに留学する予定であった。

上海で二組に分かれた5人のうち、井上と伊藤の2人は渡航の目的を尋ねられ際に、「Navy(海軍)」と答えるべきところを「Navigation(航海術)」と答えたため、航海術を学びたいならと水夫と同様に扱われ、運賃を払ったにも関わらず苦難のすえロンドンにたどり着く羽目となる。


1863(文久3)年、5月に日本を出発し、11月にロンドンに到着した彼らは、UCL(ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ)で学ぶ。

ところが翌年、攘夷主義を掲げる長州藩が行った外国船砲撃への報復を、英国をはじめとする諸国が検討している、という記事がロンドンタイムズに掲載されると、井上と伊藤の二人は攘夷の無謀を知り帰国を決意、翌年4月ロンドンを出発した。

渡航する前年、イギリス公使館焼き討ち事件に加わっていた2人だが、半年に満たなかった彼らの留学は、無謀な攘夷は藩を滅ぼすと悟るのに十分な期間だった。

現在UCLには、幕末に極東からはるばる留学にきた日本人を称えた石碑があり、その先頭に5人の長州藩士の名前が刻まれている。

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