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日本史上のイギリス

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生麦事件



1862年(文久2)年8月、薩摩藩の島津久光(藩主の父)は、はるばる薩摩から京を経て勅旨をかかげ江戸に赴き、意気揚揚と幕政改革運動を行った。

その帰路に東海道の一漁村生麦村(現在の横浜市鶴見区)にて、川崎大師を見物に訪れようとしていた横浜の生糸商人ウィリアム・マーシャル、米国ハード商会社員ウッドソープ・C・クラークと、上海から来日したチャールズ・レノックス・リチャードソンとマーガレット・ボロデール夫人ら4人のイギリス人が薩摩藩の大名行列に鉢合わせした。

当時、大名行列に対しては即座に脇に寄って道を譲り、礼をもって送らねばならなかった。

現に、4人のイギリス人より前にこの行列に出くわしたバンリード(米国領事館書記官)は下馬・脱帽して礼を示し、道を譲ったため、事なきを得たが、不幸にも4人のイギリス人にはそのような知識はなかったのか、どうしたものかと行列の前で立ち往生しているうちに、騎乗のまま乗り入れて行列を乱してしまった。

ただでさえ攘夷の意気高い薩摩藩にとって、このイギリス人の非礼(薩摩藩にとって)は許されず、薩摩藩士は抜刀してイギリス人に斬りかかった。


リチャードソンは深手を負い死亡、マーシャルとクラークも斬られたがアメリカ領事館に何とか逃げ込み、ヘボン医師(ヘボン式ローマ字で有名な)の治療を受ける。

ボロデール夫人はかぶっていた帽子を斬られたが、体に傷は負わなかった。

イギリス領事ヴァイス中佐は現場に急行、キューバー提督のイギリス艦隊は神奈川に入港するなど、一時は切迫した事態となる。

イギリス代理公使ジョン・ニール大佐は幕府に対して10万ポンドの賠償金、薩摩藩に対しては、犯人の処罰及び2万5千ポンドの賠償金支払いを要求し、横浜にイギリス艦隊を集結させて、幕府を威圧した。

幕府はこれに応じ、賠償金を支払ったが、薩摩藩はこの要求を拒否、事態は薩英戦争へ至ることとなった。
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