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日本史上のイギリス

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薩英戦争



薩英戦争1863(文久3)年6月、イギリス代理行使ジョン・ニール大佐は、生麦事件に対する賠償について薩摩藩と直接交渉するために、イギリス艦隊7隻にて鹿児島に遠征した。

ニールは薩摩藩に犯人の逮捕処罰と賠償金2万5千ポンドを要求するも、薩摩藩はこれを拒否、イギリスは薩摩の汽船3隻の拿捕し、薩英の間で砲戦が開始された。

英国艦隊と薩摩の砲台の間で交わされた戦闘では、イギリス側は旗艦ユーリアラスの艦長ジョスリング大佐が戦死したのをはじめ、60余人が死傷する損害を出す。

薩摩側は砲台がほぼ全て破壊され沈黙、鹿児島城下が焼かれたが、死傷者は20名に至らずイギリス側より少なかった。

最新式の砲を装備し、苛烈な砲撃を加える英国艦隊に対し、当時日本一勇猛と賞された薩摩藩は善戦し、それまでのお互いに対する評価を改めることとなった。

最新式兵器の威力を目の当たりにした薩摩藩は、テロ的な小規模な攘夷の愚を悟り、その後の藩の方針を改める契機となる。

小国の一諸侯に過ぎないと思っていた薩摩藩に対して思わぬ損害を出したイギリスも、その実力を評価し、幕府よりも薩摩藩のような雄藩との接近を計り始める。

戦後の11月、横浜のイギリス公使館で講和談判がおこなわれ、薩摩藩は生麦事件の賠償金を支払い、犯人の処罰を約束、ニールは、薩摩藩のために軍艦購入の周旋を約束した。

薩英戦争を機に両者は接近し、薩摩藩はイギリスを通じて兵器を大量に購入、後に起こる対幕府との戦争に備えることとなった。
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