イギリスの作家で言語学者。バーミンガムのキング・エドワード校の出身。
オックスフォード大学で1925から1945まで古英語、45から59年まで英語及び英文学の教授を務める。
イギリスの銀行の支店長であった父親が働いていた、オレンジ共和国(今の南アフリカ共和国)で生まれる。トールキンという苗字は、ドイツ語の「無鉄砲」という単語を英語読みにしたものである。
そう、トールキン一家はドイツ系であり、この理由もあってかドイツにはたくさんのファンがいる。3歳のとき母と共にイングランドへ戻る。銀行員の父は、イギリスへ帰る前に脳溢血で倒れ、南アフリカで亡くなってしまう。収入が無くなった家族は、母親の両親と住むために1896年にバーミンガムへ移る。その後トールキンはバーミンガムのキングエドワード校、セントフィリップス校、そしてオックスフォードのエクセター学寮へ進んだ。
子供の頃から言語に興味があり、すでに4歳でラテン語を覚えたという。しかし12歳の時に母親が亡くなるという不幸に遭い、その後弟と共に教会司祭に引き取られる。この時、バーミンガムエッジバーンストーン地区にある水道施設のビクトリア風の塔の影に住んで、この時の体験が作品に登場する様々な暗い塔のイメージの元となったと言われている。第一世界大戦にはイギリス陸軍として従軍し、激戦地で死んでいく兵士達を目の辺りにし、本人自身も塹壕熱で病院送りとなった。
終戦後は、オックスフォード英語辞典の編纂作業の仕事にとりかかる。1920年にリーズ大学で英語学の講師となり、1925年にアングロサクソン語の教授としてオックスフォードへ戻った。1945年にはオックスフォードのマートン学寮に英語学・英文学の教授として移り、1959年まで勤めた。言語学者として教鞭・研究をしている間に、トールキンは多くの作品を書き上げた。1937年に、子供向けに書いた「ホビットの冒険」を出版し、この作品が好評だったため、続編である「指輪物語」を1954年から書き始めた。
この大作を書き上げるのに10年を費やしたのである。トールキンの専門は言語学であり、研究した言語や神話学は彼の作品にも強く影響している。例えば、映画「ロード・オブ・ザ・リング」でエルフが話していたエルフ語は、トールキンがフィンランド語を基本にして作った人口言語である。
mizzy 1/27 2005
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