イギリス・紅茶のお話
イギリスのお土産でよく買ったり頂いたりするのが紅茶。空港やギフトショップには必ずと言ってよいほど、アールグレイ、セイロン、イングリッシュ・ブレックファーストといった種類の紅茶が売られている。
私も何回かイギリスのお土産に紅茶を頂いたことがあるが、個人的に気に入ったのがレディーグレイ。
アールグレイをベースに、オレンジやレモンなどの果肉が入った爽やかな香りのする紅茶で、今では日本のデパートやスーパーでも売られている。
学生の頃ロンドンへ旅行をしたことがあるが、その際、本場でアフタヌーンティーをしたい!おいしいスコーンも食べたい!と素敵なガーデン付きのカフェに行くのを楽しみにしていた。がしかし、お茶するだけなのにお値段が高すぎて諦めた経験があった。今度イギリスへ行くことがあったらぜひアフタヌーンティーをして優雅な気分を味わってみたい。旅行ガイドブックにもちゃんとアフタヌーンティーができる所の紹介も出ているし。
イギリスには紅茶をたくさん飲む習慣があり、それにちなんだイギリス単語もある。例えば以下の単語などは皆さん耳にしたこともあるのでは?
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アフタヌーンティー サブメニュー
1)イギリス・紅茶のお話
2)TeaPot ティーポット
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Tea Break 仕事などの合間にお茶を飲んで一休みする習慣のこと。 Early Morning
Tea 目覚めのお茶。朝目覚めた時に飲む紅茶のこと。 Breakfast
Tea 朝食の時のお茶。 Elevens 午前11時のお茶。昼食前の一休みに飲む紅茶やコーヒーのこと
Afternoon Tea 午後4〜5時くらいに軽食を取りながら飲むお茶のこと。
High Tea 夕方6時頃から6時半頃に料理を食べながら飲むお茶で。「軽い夕食」のこと。
Night Cap 就寝時のお茶。眠ることを考慮に入れて、ハーブティーが好まれる。
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紅茶大国のイギリス
イギリス人の約80%は紅茶を飲む習慣があるといわれ、一人当たりの年間紅茶消費量は約2600g。
毎日平均4、5杯の紅茶を飲んでいることになる。参考までに日本人1人の年間消費量は約100g。つまりイギリス人は日本人の26倍もの紅茶を飲んでいることになる。まあ私たち日本人は緑茶やウーロン茶を好んで多く飲んでいると思うが。
しかし、よくよく考えてみると不思議である。イギリスではお茶っ葉は栽培されてないのにも関わらず、たくさん紅茶が飲まれており、紅茶やティーセレモニーはイギリスの文化として扱われている。
だから私もイギリスでスコーンを食べながらアフタヌーンティーをしたいと思ってしまう。
しかし、ご存知かとは思うが、紅茶の葉はほとんどインド・スリランカのものである。
イギリスブランドの紅茶のパッケージや缶の裏には原産国はインド又はスリランカと書かれている。 |
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当たり前だが、イギリスの紅茶であってもそれはイギリスで取れた紅茶ではないのである。(もちろんインド・スリランカは昔イギリスの植民地ではあったが。)
お洒落なイギリスの紅茶文化について調べ始めると、実は激動の歴史がそこにはあった。
私たちが普段飲んでいるお茶の歴史、イギリス人がいつから紅茶を飲むようになったのか、そして緑茶と紅茶の違いについてなどを説明していきたい。
そもそもお茶を飲み始めたのは、紀元前約2000年の中国人。お茶は中国で発祥したのである。
ここでいうお茶とは緑茶のことである。中国の神話には、農耕の神様が間違って毒のある薬草を食べてしまい、解毒するためお茶を飲んだと書かれているらしい。
それから日本にお茶が伝わったのは805年。
日本にお茶を伝えのは、当時中国に留学していた最澄である。
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最澄といえば天台宗の開祖であり、日本に仏教を広めた歴史にも出てくる有名な高僧。
804年に仏教留学生として中国へ渡り、1年後に仏教の教えとともに茶の種子を日本に持って帰国する。
最澄は仏教の教えだけでなくお茶も持って帰ってきたのである。
最初は万能の薬として珍重されたお茶であったが、後には芸術として茶道が始まり、千利休が歴史に登場していくる。
参考までにお茶(緑茶)の効能を簡単に挙げると@ダイエット効果A風邪予防B老化を防ぐCがん予防D内臓疾患/動脈硬化・糖尿予防E口臭・虫歯予防である。
緑茶の成分であるカテキンは色んな働きをしてくれる。
では、ヨーロッパにはいつどのようにお茶が伝わったかというと、1516年に当時宣教師を多く送っていたオランダが中国から茶を輸入しはじめる。
これが初めてヨーロッパにお茶が伝わった時で、このお茶は緑茶やウーロン茶であり、紅茶がヨーロッパで飲まれるようになるのはまだ先のことである。
1630年代にオランダは近隣諸国のフランス・ドイツ・イギリスなどにもお茶を売り始める。
中国から茶を輸入しヨーロッパに広めたのは以外なことにオランダだった。
オランダの上流階級の間では人気が出たが、フランスでは上流階級の人々に飲まれていたのは最初のうちだけでその後は廃れてしまう。
1662年イギリス国王チャールズ2世へ嫁いだポルトガル王の娘キャサリン王妃が東洋趣味で、お茶を飲む風習を宮廷に広めていった。
チャールズ2世の時代からお茶がイギリス宮廷の飲物となったといわれ、そのお茶人気は高まりもっと手に入れる必要が出始めた。
オランダ東インド会社がアジアとの貿易で成功しているのを不満に思っていたイギリスは1651年に、イギリスへの茶の輸入は全てイギリス国籍の船によってのみ許可される、という「航海条例」を制定し、その翌年には、オランダとの戦争を開始した。
1652-54、65−67、72−74年の3次に渡る英蘭戦争の結果は、イギリスがオランダに勝ち、その後イギリス東インド会社が茶の貿易を独占していくようになった。
英蘭戦争後、1689年オレンジ公ウィリアム3世とメアリー女王の時代には東インド会社が福建省アモイと直接交易をはじめ、イギリスでの東洋趣味が一気に高まった。
上流階級でもお茶を飲むようになり、中国の急須なども買い求められたという。
このようにイギリス皇室・上流階級でお茶は人気を博し、お茶を中国から大量に輸入しなくてはならくなった。
イギリスは財政の助けとして茶輸入時の関税を高くしたり茶税法と称し当時植民地のひとつであるアメリカに強制的に茶を押し付けていた。
これに反発したアメリカ市民が1773年12月16日、ボストン港に停泊していた茶運搬船3隻を襲撃し船に積まれていた342個の茶箱を海中に投げ捨てた有名な事件がある。
ボストン茶会事件である。
これがきっかけとなりイギリス本国と植民地アメリカとの間で独立戦争が起こった。
独立戦争が起った背景にお茶が関係していたとは驚きである。
さて、紅茶はいつできたのかというと、ある説によると1784年に宦官をやめて商人になった中国人が、ウーロン茶をさらに発酵・改良し紅茶をつくったという。
これを読んだとき、たしかにウーロン茶と紅茶は似ている!とはっとした。紅茶を何十年も飲んでいたのにこの事実を知らなかったこともショックだったが、まさか紅茶が元来ウーロン茶だったとは!(これってみんな知っていることなのかしら?)
お茶はもともと同じ茶葉からできるのだが、製造方法によって色・香り・味が異なる。
お茶を三種類に分けると不発酵茶(緑茶)、半発酵茶(ウーロン茶)、発酵茶(紅茶)の三種類にわかれる。
緑茶は、製造する初期の段階で蒸したり釜で炒ったりし熱を加え発酵を防ぐ。
それにより茶葉の緑色がよく保存される。
ウーロン茶は積む前に葉をしおれさせるが、途中で炒るので半発酵の状態となる。 そして紅茶は、お茶を摘む前に葉をしおれさせ後に湿度の高い部屋で十分に発酵させる。
だからウーロン茶よりも香りと甘さがでてくるのだ。
こうして出来た紅茶は、緑茶・ウーロン茶と共にイギリスへ運ばれるようになり、次第に紅茶の方がイギリス人から好まれるようになる。
歴史の続きになるが、イギリス,具体的には東インド会社は茶の輸入の代りに中国(清の時代)へ大量の銀を支払っていた。
イギリスは中国へ銀を支払うのが嫌になったのか、なんとかして中国から茶の生産を奪おうとし、中国の茶樹を植民地のインド・カルカッタへ移植しようとしたがもちろん失敗。よっぽど赤字で追い詰められていたのだろう。
しかしその後1823年インド・アッサムで野生の茶樹(アッサム種)が発見され、ここからインドでの紅茶の生産がはじまった。
しかしそうはいっても依然として茶の生産を中国に頼って、銀がイギリスからどんどん流出していた。
中国のお茶は欲しい、かといってイギリスから中国に売れそうなものはない。
イギリス自慢の陶磁器も実際は清製品の方が優っていたし。
それを何とかするため、何とひどいことにインドで生産したアヘンを中国に密輸し、その代金で紅茶を買って銀の流失を食い止めようとしはじめた。
何というやり方なのだろう、中国にはだんだんとアヘン患者が増え治安も悪くなる。
そしてアヘンの輸入額はお茶の輸出額を超えて、今まで中国に入ってきた銀が中国からイギリスへ逆戻りするようになった。
もちろん清はアヘンの輸入を禁止するが、イギリス商人は役人を買収し密輸を行いつづける。
1839年、清の役人であった1839年、林即徐は国を救うべく皇帝の命令に従ってイギリス商人から1400トンのアヘンを没収して焼き払った。
これがきっかけでアヘン戦争が始まった。
この翌年、報復の為大英帝国遠征軍が到着。アヘン貿易を妨害された理由で専制布告をする。
この戦争明らかにイギリスが悪者なのに、イギリスが勝者となり、1842年清にとっては屈辱的な南京条約が結ばれる。
南京条約の内容は簡単にまとめると@香港の割譲A在中国、イギリス人の治外法権B焼却したアヘンの損害賠償C関税自主権の放棄D大英帝国遠征軍の派遣費用を含む巨額な賠償金の支払いの5つである。
@の香港は1997年7月に中国へ返還された。 その後インドでの紅茶栽培が軌道に乗り始めた後は、イギリスでお茶を飲む習慣は上流階級から中流階級へ普及し始めた。
お茶の飲み方も、薄めのストレートよりも濃く入れたお茶にミルクと砂糖を加えるロイヤルミルクティーも飲まれだす。
産業革命の時代には紅茶も安価になり、労働者階級でも飲み始め、紅茶はビールと並んでイギリス人の代表的な飲み物となり今に至る。
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